仏のことばを読む六. 般若心経 その21
また愛する者と別れることも思い通りになりません、これを愛別離苦(あいべつりく)といいます。また嫌な人と出会うことも思い通りになりません。これを怨憎会苦(おんぞうえく)といいます。また欲しいものを手に入れることも思い通りになりません、これを求不得苦(ぐふとっく)といいます。総じて私たちの心身の活動は思い通りになりません、これを五蘊盛苦(ごうんじょうく)といいます。これらを四苦とまとめて都合八つになるので八苦といい、四苦八苦という言い方がされるようになりました。
さて、この苦には原因があります。それを集(じゅ)といいます。集とは煩悩が集合していることで、それらが苦を生み出す原因と考えられます。次の滅とは煩悩を滅しきって苦がなくなった状態のことです。煩悩を滅しきると輪廻における生死をくり返すことがなくなり、生死という苦から解放されます。この解放を解脱といいます。解脱すれば心が安らぎ静寂になります。その状態を涅槃(ねはん)といいます。この状態になった者を阿羅漢(あらかん)といいます。大乗仏教が成立するまでは、阿羅漢になることが修行の理想とされました。
この滅に至るには原因があります。それは修行の道です。道はさまざまに説かれますが、八正道(はっしょうどう)がその代表的なものです。八正道とは次の八つです。
①正見(しょうけん) 釈尊の教えに基づく正しい物事の見方・見解
②正思(しょうし) 正しい考え方
③正語 正しい言葉づかい
④正業(しょうごう) 正しい行い
⑤正命(しょうみょう) 正しい生活
⑥正精進 正しい努力
⑦正念 正しい心のおきどころを定めること
⑧正定(しょうじょう) 正しい瞑想による精神集中
これらはさらに細かく分類され、修行の心得として重視されました。これらの道を原因として解脱(げだつ)=涅槃という滅に至るのです。ここに私たちの日常生活の実現としての苦集と、修行の実際としての滅道が示され、これを四聖諦といいます。この苦集滅道も釈尊が説いたダルマ(法)なのですから、五蘊と同じように「空である状態」で、実在しません。それゆえ四聖諦のそれぞれのダルマ(法)の無が説かれるのです。ここでも修行僧が釈尊の示された四聖諦のダルマ(法)にとらわれ、言葉に執着して、釈尊の示そうとした真実を見失うことを批判する、この経典の立場が示されています。