仏のことばを読む六. 般若心経 その22
私たちは成仏することを願いますが、それは仏陀の智慧を獲得することです。しかし、その智慧は言葉で考えられるものではありません。言葉を離れ、「空である状態」という空性を深く体験しなければ到達しません。それゆえ言葉の虚構であるかぎり智慧というダルマ (法)は無であると説かれます。同様にそれを得ることもダルマ(法)であるかぎり実在しません。それを無得といいます。
しかし、この得については議論の余地があります。般若経以前の教理学では、得を涅槃に「至ること」「獲得すること」と考えられていました。その得はダルマ (法)に分類されています。ここではその得を涅槃ではなく智慧に「至ること」「獲得すること」と考え、ダルマ (法)と見なしたとここでは理解しておきます。
以上、五蘊・十二処・十八界・十二縁起・四聖諦という釈尊の説法の最も基本となる教えについて、それぞれのダルマ (法)の考察が行われました。そして、無という一語に象徴されるように、徹底的にそれらのダルマ(法)が実在しないこと、すなわち空であること(空性)を主張するのです。そして、このことを知るためにさまざまな実践修行がなされ、智慧によってダルマ(法)が観察され、分析され、詳細に考察されるのです。そして、その修行の果てに智慧の完成=般若波羅蜜多に至るのです。まさしくこのようにダルマ (法)を考察する修行者の代表として観自在菩薩が登場しているのです。
以上のダルマ(法)の空を釈尊の説法に基づき観察し、考察した上で、次には仏に成ること(成仏)と智慧の完成=般若波羅蜜多との関係を説いていきます。