真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その22

 無智亦無得のうち、智とは仏陀の智慧のことです。この智慧の獲得こそが大乗仏教の最終目標です。それは先に唱えた発菩提心真言で菩提を目指すことと同様です。菩提も智慧も真実を完全に知った仏陀の悟りの境界です。これもダルマ(法)とされます。言葉で考えられたものだからです。それゆえこの智慧というダルマ(法)も実在しません。
 私たちは成仏することを願いますが、それは仏陀の智慧を獲得することです。しかし、その智慧は言葉で考えられるものではありません。言葉を離れ、「空である状態」という空性を深く体験しなければ到達しません。それゆえ言葉の虚構であるかぎり智慧というダルマ (法)はであると説かれます。同様にそれを得ることもダルマ(法)であるかぎり実在しません。それを無得といいます。
 しかし、このについては議論の余地があります。般若経以前の教理学では、を涅槃に「至ること」「獲得すること」と考えられていました。そのはダルマ (法)に分類されています。ここではそのを涅槃ではなく智慧に「至ること」「獲得すること」と考え、ダルマ (法)と見なしたとここでは理解しておきます。

 以上、五蘊・十二処・十八界・十二縁起・四聖諦という釈尊の説法の最も基本となる教えについて、それぞれのダルマ (法)の考察が行われました。そして、という一語に象徴されるように、徹底的にそれらのダルマ(法)が実在しないこと、すなわち空であること(空性)を主張するのです。そして、このことを知るためにさまざまな実践修行がなされ、智慧によってダルマ(法)が観察され、分析され、詳細に考察されるのです。そして、その修行の果てに智慧の完成=般若波羅蜜多に至るのです。まさしくこのようにダルマ (法)を考察する修行者の代表として観自在菩薩が登場しているのです。

 以上のダルマ(法)の空を釈尊の説法に基づき観察し、考察した上で、次には仏に成ること(成仏)と智慧の完成=般若波羅蜜多との関係を説いていきます。

 

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