真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その15

 舎利子とは釈尊の十大弟子の一人、シャーリプトラ(舎利弗)のことです。シャーリプトラは釈尊の弟子の中でもとりわけ卓越した智慧の持ち主だったので智慧第一とも言われています。古くから釈尊の説法において釈尊と問答をかわす役割で描かれています。ここでも釈尊の説法の相手となっています。
 色不異空 空不異色という場合のは、五蘊のうちの色蘊というダルマ【法】のことです。空は先の五蘊皆空(ごうんかいくう)と説かれた空と原語が違います。ここでの空は一般に空性(くうしょう)といわれ、いわば「空である状態」をいいます。例えば「Aは空である」「Bは空である」といわれますが、AもBもどちらも「空である状態」であり、その事実を空性というのです。梵語【サンスクリットニ】で「~は空である」という場合の空は、文法的には形容詞で、「~は空の状態にある【空性である】という場合の空性は抽象名詞です。このことを念頭におくと、五蘊のうちで色蘊というダルマ【法】は、空の状態にあるということを説いています。しかも色蘊というダルマ【法】と空である状態は不分離なので不異ということで強調しています。
 色即是空 空即是色という表現は『般若心経』の中で、最もよく知られている一句でしょう。またここにこそ、この経典の最も重要な思想が説かれていると解説する人もいます。しかし、私はそのような理解や解説に疑問を持っています。五蘊が空であり、ダルマ【法】が空であることを説く中で、五蘊の一つである色蘊というダルマ【法】が空であることを説くこの一句に、この経典の核心を諫み込むことは不可能です。また即是ということで主語と述語が入れ替わっているところに深い思想が込められているという解釈もありますが、それも別の思想で『般若心経』を読み込もうとする誤解であるといえます。ここは梵語で素直に読めば、色蘊というダルマ【法】であるものは空の状態にあり、空の状態にあることが色蘊というダルマ【法】の現実であるということになります。色不異空 空不異色と同じように理解してよいと思います。
 

仏のことばを読む一覧