真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その25

 究竟涅槃のうち、究竟とは「究(きわ)めつくした」という意味で、涅槃と結びつけられ「涅槃の境地を究め尽くした」「涅槃の境地を成就し終えた」という意味になります。そして、涅槃とは一般に寂静(じゃくじょう)の境地、すなわち煩悩がすべて消え去った状態であり、煩悩がなくなると輪廻という生死のくり返しの世界から解放されるので解脱ともいわれます。その境地に達した者を阿羅漢といいます。伝統的な仏教では、修行僧はこの阿羅漢に到達することを修行の目標にしていました。しかし、大乗仏教では涅槃を捉(とら)え直し、この輪廻の世界に留まりつつ、心を寂静にする涅槃を目標としました。観自在菩薩も輪廻から離れたのではなく、輪廻の世界に留まりつつ衆生を救済し、しかも心が完全に寂静の境地になっているとされます。その意味では大乗仏教の目指す涅槃は完全な悟りとほとんど同質のものであるといえます。
 次の三世諸仏とは過去世・現世・未来世のすべての仏という意味です。すべての仏は智慧の完成をなし遂げて仏に成るのであり、その意味では智慧の完成(般若波羅蜜多)が仏の基になっているともいえます。それゆえ智慧の完成(般若波羅蜜多)が仏を生み出すと考えられ、 それは仏の母に譬えられます。そのことを次に説きます。

 依般若波羅蜜多得阿耨多羅三藐三菩提とは仏の母の働きを示しています。般若波羅蜜多 に依拠し、譬えればそれを母胎として、仏は生まれます。仏とは究極の悟りを開いたもののことです。その究極の悟りを阿耨多羅三藐三菩提といいます。これは三つの語によって構成され ています。
 まず阿耨多羅とは梵語のアヌッタラの音を漢字に写したもので、「この上ない」という意味です。この語で仏の悟りが最上であることを示しています。次の三藐は梵語のサムヤクの音を漢字に写したのであり、「正しい」「完全な」といった意味です。次の三菩提は梵語のサムボーディの音を漢字に写したもので、「完全な仏の智慧」という意味です。この三語全体で「この上なく、正しい完全な智慧」という意味であり、この意味を汲みとり 「無上正等覚」などと漢訳されることもあります。
 漢訳経典では、この前にと示されているので阿耨多羅三藐三菩提(無上正等覚)をたと理解できます。しかし、このに対応する梵語を見ると「ありありと完全に覚った」という意味になっています。ここでいう「覚った」というのがブッダ(仏陀) という語になっています。すると阿耨多羅三藐三菩提を得ると完全に仏になるということになります。経典制作する修行僧はこのようなイメージをありありと思い浮かべていたのでしょう。従来の仏教でいう仏の悟りのイメージをはるかに凌駕(りょうが)するブッダ(仏陀)を般若経の人々は思い描いていたのです。
 それほどの悟りを成就する仏は、まさしく般若波羅蜜多に依拠しているのですから、般若波羅蜜多こそ最も不可思議な力を秘めていると考えられます。そこでそのことを次のように説きます。
 

仏のことばを読む一覧