真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その27

 このような理解をして四種の真言について考えてみましょう。

 大神咒とは「大いなる真言」という意味です。神咒はマントラの訳語で真言という意味です。
 大明咒とは「偉大な智慧の真言」という意味です。とは仏陀の悟りの智慧のことですが、そこには不可思議で神秘的、呪術的な力が込められていると信じられています。明はもともとインドでは、学問の知恵の意味が基本ですが、とりわけバラモン教の聖典の知識をいう場合が多いのです。仏教ではこの語で仏の悟りの智慧を言いあてることにしました。 そして、そこには呪術的な不可思議な力が秘められているので、そのものが崇められ、仏に仕え呪術的な力を最大限に発揮する存在である明王(不動明王など)を信仰するようになったのです。般若波羅蜜多はこのような明である真言なので大明咒とされます。
 無上咒とは「この上ない真言」「もっとも優れた真言」という意味です。
 無等等咒とは「等しいものがない真言」「比類ない真言」という意味です。
 般若波羅蜜多はこのような四種の特徴をそなえた強力な真言ですから、私たちが般若波羅蜜多を唱えれば、即座に不安や悩みや苦しみを消し去ってしまいます。そのような真言の効験(こうけん)を次に述べます。
 能除一切苦とは般若波羅蜜多という真言の効験が顕著であることを説きます。は文字通り「取り除く」という意味ですが、梵語では「鎮(しず)まる」という意味です。一切苦も文字通り「すべての苦」という意味です。については四苦八苦を紹介しながら「思い通りにならない」 という意味であることはすでに説明しましたのでご参照ください。「思い通りにならない」あらゆる悲しみ、苦しみ、不安など、人生が抱えるすべての困難を消し去るほどの効験ある真言がこの般若波羅蜜多なのです。
 
 そこで最後に真言を説く段落に入ります。
 真実不虚故は次の真言を説く文の理由を表しています。漢訳では「真実であり虚でないから」と読めます。その場合、真実不虚がほとんど同じ意味であると考えられます。不虚とは「虚妄(きょもう)でない」「虚偽でない」といった意味になります。真言は仏の言葉ですので真実であり、不虚であると説いています、ところが梵語を参照にすると理解が難しくなります。まず真実ですが、これはサティヤという語の漢訳で、一般に「諦」と訳されます。この「諦」という語は、先に苦集滅道に関して述べた四聖諦にも使用される語です。先に四聖諦について述べ、それは「現実」「真実」「実態」といった意味であると説明しました。 そもそも「諦」と訳されるサティヤは、語った言葉がそのまま現実となるような真実を意味しています。したがってサティヤは真言ときわめて近い意味を含み持っているといえます。ここでサティヤという語を使っているのは真言の説明であると理解することもできるでしょう。しかし、サティヤは副詞として「本当に」「実際に」といった意味でも使われる語です。そして、この箇所のサティヤは副詞として読解することも可能です。そうであるとすれば、次の不虚を形容し「本当に不虚である」という意味 になります。不虚も唱えた言葉に偽りがないという意味で、真言の効験が確実であることを示しています。
 

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